LGBTQあるあるLive後編#4
大人になってみてどう?
- セクシュアリティ
- 体験談・インタビュー
LGBTQについて知る機会って増えたけど、まだまだ当事者の声からじゃないと分からないこと・伝わらないことがたくさんあるんじゃないかということで、2020/4/10・17にMex(ミークス)で当事者3人の対談企画を行いました。
前回はロールモデルについて伺いました。今回は将来の夢と進路についてです。
対談メンバー
遠藤まめたさん: 1987年埼玉県生まれのトランスジェンダー。今はIT関係の仕事。LGBTユースのための居場所にじーず代表。
(AYAさん)1992年生まれ。漫画でわかるLGBTメディア「パレットーク」編集長。ゲームからオフラインイベントまで手掛けてきたマルチプロデューサー。ヒップホップ、自炊、サウナが好き。
MC 太田尚樹さん: 1988年大阪府生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。
将来の夢より、どう平穏に過ごすかが優先だった
じゃあ、2人はさ、将来の夢みたいなのはどう描いたりしてたの?
将来はね、声変わりして筋肉がついてひげ生えてみたいなのが目標だった(笑)
えー、それはどういうこと、できると思ってたってこと?
とりあえず何だろう、身体の変化がいやだったから、それを避けたかった。それが17、8歳の時の最優先課題。幸い勉強は好きで、親にカミングアウトした時に仕事につけない可能性があるから資格のとれる勉強をしろって言われて、それで獣医学科に進んだんだけど。。
獣医師ってイヌネコの治療だけじゃなくて、研究の仕事があったりとか公務員の仕事があるとかいろんな職場があったりしたので、可能性が選択肢があるから良いかなと思った。助けたいとかじゃなくて先が広いからっていう理由で進んだんだけど。
でもそれ夢じゃなくて。自分の夢は全然別のところにあった。平穏な日々を送りたいみたいなことが優先順位高かった。いまだに夢とかあんまりないんですよね。
でもそれ夢じゃなくて。自分の夢は全然別のところにあった。平穏な日々を送りたいみたいなことが優先順位高かった。いまだに夢とかあんまりないんですよね。
そっか、今もなんだ。今も落ち着いた、平穏な、みたいなところはまめたさん的には満たされていないなと思ったりするって感じ?
いや今は全然状況が変わって。17、8歳ぐらいの時はそういう状況で。今は、就職して、自分でお金稼ぐようになって、もう満足した、みたいな。友達とかもいるし。
達観してる。(笑)
あんまり夢とか持たない。あっ自分がやってる団体を大きくする。
じゃあ、今はこのままいきたいというか維持したいという感覚が強い?
やりたいと思ったらいつでもできるし。大人の余裕。(笑)
やらなきゃ死ぬみたいな切羽詰まった状況ではなくなった。やるときはやるでしょって思ってる。でもそういう余裕は10代の時は全くなかった。毎日制服とか着てると、まず逃げようって感じ。夢とかない。
やらなきゃ死ぬみたいな切羽詰まった状況ではなくなった。やるときはやるでしょって思ってる。でもそういう余裕は10代の時は全くなかった。毎日制服とか着てると、まず逃げようって感じ。夢とかない。
そうだよね~。僕は体のことはなかったけれど、平穏を取り戻すってことが大事で、夢見てる状況じゃねえってことはあるよね。
マイナスをゼロにみたいな。
そうそう、マイナスをゼロにみたいな気持ちは僕はすごいあったかな。AYAはその辺どうだった?
ロールモデルがいなかったから、よくイメージがつかないままだったかもしれないです。
そっか、悩んだりはしなかったの?
学生時代の方が社会人よりよっぽど苦しかった
何となく就活するかってなって、インターンとかをやり始めたんですけど、大学入ってすぐに。そしたら大人の人に会うようになって、活躍する女性とか、ベンチャー・ITの世界にいたので、男女っていうよりも結果出した人主義みたいな会社に出会えたりもして、「もしかしたら自分はこういう世界の方がいいのかな」って思えたのは体験してからですね。
そっか。それじゃあそれまでは、将来の夢は描けなかったってこと?
なんかね~毎年変わってた。(笑)
それが結構変わって今はどんな感じなの?
明確にではないけれど、こういうことやってみたいって人生で思えるようになったのはすっごく良かったなと思うんです。まずインターンとかを色々な会社でさせていただいたんですけど、やっぱり自分のセクシュアリティとかをオープンにできないなっていう場所も多くて。
でも今自分で会社をやってるから、居場所でしかないんですよ。自分にとって、会社が。自分らしくいていい場所をやっと持てたなと思って。それがうちの会社のメンバーにとってもそうであったらいいなと思い始めて。
でも今自分で会社をやってるから、居場所でしかないんですよ。自分にとって、会社が。自分らしくいていい場所をやっと持てたなと思って。それがうちの会社のメンバーにとってもそうであったらいいなと思い始めて。
やー素敵。
子どもの時に思ってたより、大人って意外といい加減だなって。中学生とか高校生ってさ、大人ってもっと厳しいんだから、って言ってくるけどさ、いやいや中高時代が一番厳しいよって今だと思うわ。
あーでもそうかも。どんどん良くなった。
私の場合はだけども、本当にまめたさんのおっしゃる通りで、自分で場所を選べるようになったし、もう最初っから、与えられた家族だけじゃなくて自分で選べる家族というか居場所とかが増えるようになったんですよ。
私の場合はだけども、本当にまめたさんのおっしゃる通りで、自分で場所を選べるようになったし、もう最初っから、与えられた家族だけじゃなくて自分で選べる家族というか居場所とかが増えるようになったんですよ。
まさに自分の会社はそうなってるし、自分で作れたのは環境的にちょっとラッキーだったかもしれないけど、自分の半径5mぐらいのところはなんか自分が落ち着ける場所にできたな、やっと出来るようになったな、って思えるようになったかな。
確かにね、場所を選べないとやっぱり自分が変わらなきゃ、みたいな選択肢しか思いつかなかったりするけど、大人になると場所変えようというか、選択肢を違うものを選んでみようみたいなところが増えたりもするもんね。そうやって自分らしさが今までより分かってくるってことがあったりするから、そういう意味ではきっとどんどん良くなるから、つらい気持ちの子もなんとかつないでほしいなぁみたいなことも思ったりしますよね。
ストレスなくできることを見つける
ちなみに、AYAは起業することによって、どんどん自分らしく生きやすくなったっていう話があったんだけども、まめたさんは今会社員でやりながら、会社っていう組織では、どんどん楽になってるっていうお話だったけれど、どう思ったりしてますか。
そうですね、今ね名前まめたって全然呼ばれてるし、外資系なんですけど、すごい自由。大丈夫かって思うくらい。(笑)英語しゃべれないといけないんだけど、英語すごい得意なわけじゃなくて、めちゃくちゃな単語をガーって言っててもみんなうんうんって言ってくれるし、優しい人多くて良かったって。他の外資系だったら許されないかもしれないけれど。
その会社ってどうやって辿り着いたの?
友達がやってる会社で求人を出してて、話聞いてみたら割と条件が合うし、と思って。元々ヒアリとか虫についての相談のったりとか、その前は牛と豚の検査ずっとやってたんだけど。全然別の職場になっちゃうけどそれはそれで面白いかなと思って、そこで働き始めた。 いまのところ全然そんなには困ることはないかな。
そっか、ある意味コツ的な、自分に合うところを選んでいくコツ的なことで言うと、まずはその信頼してる人の場所だったから、とか信頼している人の紹介だったから、まず信頼している人がいる、みたいなところが大きかったのかな。
人もそうだけれど、あとは自分が好きなこととかなかなか見つけるの難しいかもしれないけど、自分ができることとか。得意とかまで言わなくてもね、これはストレスなくできるなみたいなことが見つかると良いんじゃないかな。。
自分は前の仕事も十分楽しくて、虫を顕微鏡で見てるのとかすごい好きだったから、前の仕事も面白かったし。選ぶって結構難しいことだと思うんだけれども、今の職場とか今の環境で、この部分は自分は好きかも、みたいなことを見つけられる力ってすごい大事だと思って。
そうだね。
1つのことで悩むとそのことばかり考えちゃうと思うんだけど、それとは全然違うところで、自分これやってる時間好きだとかさ、そういうの大事にしてほしいなって。
マジでそうだと思う。人だけじゃないよね、そういう意味では。
さっき言ってたみたいに、自分がこれだったら苦なく一生できるなとか、なんか分かんないけど自分的に普通なのに褒められるな、とか、色々そういうことに気づく機会って生きてると増えていったりすると思うんだよね。
さっき言ってたみたいに、自分がこれだったら苦なく一生できるなとか、なんか分かんないけど自分的に普通なのに褒められるな、とか、色々そういうことに気づく機会って生きてると増えていったりすると思うんだよね。
生きるってどのみち大変だから、そういう時の気づきを忘れないようにしておくというか、自分こういう時に楽かもとか、めっちゃ褒められるじゃん、これそんなイケてんだ、みたいなこととかをちゃんと自分にストックしていって、それだったらこういう選択肢もいいかも、みたいなことってあるよね。
AYAの場合はどう?そのご縁もあったりとか、自分ってやっぱり人の上でやるほうが向いてるのかもとか、そういうこともたぶん自分の中で気づきがあったんじゃないのかなって思うんだけれど。
AYAの場合はどう?そのご縁もあったりとか、自分ってやっぱり人の上でやるほうが向いてるのかもとか、そういうこともたぶん自分の中で気づきがあったんじゃないのかなって思うんだけれど。
私はね、1社目に出会った、師匠みたいな人がいるんだけど、多分その人の存在が大きかった。その会社ではね、プロデューサーになるかマネージャーになるかみたいなのが結構総合職の中では大きかったんですよ。 アプリを作る会社で、私最初乙女ゲーム作ってたんですよ、イケメンがいっぱい出てくる。(笑)
そのゲームのプロデューサーみたいにいいゲームをどんどん作っていくか、それを作るメンバーを、歯車をカチッと合わせるみたいに、誰と誰がこういう化学変化を生むなあとかを考えるマネージャー職とあって。その師匠が人を見る方だったの。マネージャーだったので、それに憧れたんですよね。何を作るんでも、人と人が関わりあったら色々な不和があったりもあるし、チームだからこそできることとかがあるなって気づいて。だから、マネージャーになりたいなって思った。
新卒の時から結構私は面倒見がいい方なんですけど、そういうチームをまとめたりとか、この人にこれを頼んだらちょっとうまくいくなあとかそういうのをやってみて、「あんたそっちのほうが向いてるよねっ」て言ってもらえたことがあって。いいなーマネージャーなりたいなーっていうのをざっくり思って3年ぐらい働いてたら、そういうことやらせていただく機会があって。で、そういうご縁から自分で組織を作るみたいな方にいったのかなと思ってます。
なるほど。やっぱりそうやって今10代の子達も日々の中で色々気づくことあると思うけど、大人になってく中でも、大人になった後でも、色んなことをやったり、色んな人との出会いがあったりする中で、この人憧れる、意外に憧れるかもとかそういう気づきもあれば、これ全然一生やりたくないかもとか、これめっちゃ得意かもとか、色んな気づきがね、 あって。その中でみんなどんどん自分の楽な、自分のイキイキといれる場所とか方法とか見つかっていくみたいなのがあるよね。
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