人間関係と学校の悩み#12
つい頑張りすぎてしまってつらい。自分を追い込みすぎる時は
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2021年に行われたオンライン相談会「YouTube Live 友達付き合い・自分の気持ちがわからない」の書き起こしです。
人間関係がつらい。自分が分からない。学校ってどれくらい大事?YouTube Liveのプレイリスト
前回は「死にたいって思っちゃダメなの?」についてでした。
今回は、「つい頑張りすぎてしまってつらい。自分を追い込みすぎる時は」についてです。

ゲスト:井上祐紀先生(児童精神科医/子どものこころの専門医)

MC:太田尚樹さん
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
「死にたい」気持ちはなぜ生まれるのか

Mex(ミークス)に寄せられてくる投稿を見ていると、死にたい気持ちを持っている子が多くいます。一方で、みんな「死んじゃダメだ、死んじゃダメだ」といういう葛藤を抱えていて、本人も苦しいのではと思います。そういった感情はなぜ生まれるんでしょうか?

「死にたい」という気持ちを抱えるということは、それを起こさせる何かがあって、絶対に解決したい出来事があるはずなんです。こちら(次の写真)の投稿で「許されたい」という言葉がありますよね。


本当は、「何かから離れたい」とか「何かから許されたい」という気持ちがあるのに、できそうにないから「いなくなってしまいたい」といった感情に変わっていってしまう。つまり、死ぬこと以外の解決をあきらめちゃった時に、少し死にたい気持ちが強くなってしまうんです。
本当は、自分がいなくなってしまうこと以外でなんとかできる可能性があって、「死ぬこと以外でこのことをどうやって解決していこうか」ということを、誰かに相談できるのがいいんだろうなと思います。
本当は、自分がいなくなってしまうこと以外でなんとかできる可能性があって、「死ぬこと以外でこのことをどうやって解決していこうか」ということを、誰かに相談できるのがいいんだろうなと思います。

ただ、一番極端な時って「自分が何に悩んでいるかわからない」という場合もあります。原因がわかれば解決できる可能性がありますが、原因が何かわからないという状況ですね。
その場合も「何かから離れたい」「何かから自由になりたい」「何かから許されて、本当は自分はどうしたかったか」というものがきっとあるはずです。そっちを実現できるお手伝いができたらいいなと思います。
その場合も「何かから離れたい」「何かから自由になりたい」「何かから許されて、本当は自分はどうしたかったか」というものがきっとあるはずです。そっちを実現できるお手伝いができたらいいなと思います。
自分を追い込むのは自分の中の「頑張りキャラ」

投稿者のみなさんは頑張り屋さんだし、すごく優しい方が多い印象があります。「自分が頑張らなきゃ」「周りじゃなくて、まず自分から」ってすごく思っている、思いやりのある方が多いなと感じました。

実は自分の心も1つじゃなくて、「頑張りキャラ」みたいなものを強く持っている人もいれば、「のんびりキャラ」みたいなものを持っている人もいたりいます。
頑張りキャラっていうのがブワーって出てくる、それが疲れちゃうとドーンと落ち込むみたいなこともありますよね。
頑張りキャラっていうのがブワーって出てくる、それが疲れちゃうとドーンと落ち込むみたいなこともありますよね。

自分で自分をケアする1つのコツなので紹介したいんですが、もしかしたら自分の中には「頑張りキャラ」がいるんじゃないか、すごく頑張ってしまいたい性格の一部があるんじゃないかって思ったら、そのキャラと対話するといいですね。「もし頑張らなかったら、何が起こるの?」って。


自分の中でですか?

はい。「もし頑張らなかったら、何が起きそう?」「最悪の状態ってどんなことが気になってる?」って話しかけてみます。
「頑張らなかったら見捨てられるもん」とか、「頑張らなかったらこうなっちゃうもん」みたいな話が、やっとそこで出てくるかもしれないですよね。
「頑張らなかったら見捨てられるもん」とか、「頑張らなかったらこうなっちゃうもん」みたいな話が、やっとそこで出てくるかもしれないですよね。

頑張りキャラは、「これはこうするべき」「もしこれができなかったら、とってもまずいことが起こる」みたいなこととセットで頑張っちゃっているところがあります。
なので、自分で自分の心に聞くって何か変なように思えますが、自分の中の「頑張りキャラ」が前に出ている時には、そんな対話ができたらいいかなと思います。
なので、自分で自分の心に聞くって何か変なように思えますが、自分の中の「頑張りキャラ」が前に出ている時には、そんな対話ができたらいいかなと思います。
自分の中のキャラと対話する方法

自分のキャラとの対話って、どういうことをするんですか?この質問からしてみようとか、何かそういうやり方はあるんですか?

ノートやホワイトボードに「自分の中にこんなキャラがいるなあ」って書いちゃってもいいですよね。自分の心の中にはさぼりたい自分もいたり、頑張りたい自分もいたり、見栄っ張りの自分もいたりして、それぞれが考えを持っているんですよ。
マンガみたいに吹き出しを書いて、「このキャラはこんなことを思ってる」みたいなことをやってみて、「このキャラにはどういうふうに言ってあげたらいいのかな」と考えてみる。
マンガみたいに吹き出しを書いて、「このキャラはこんなことを思ってる」みたいなことをやってみて、「このキャラにはどういうふうに言ってあげたらいいのかな」と考えてみる。


究極の目標は、自分がつらくならないように守ることです。そのためには、それぞれのキャラを程よくなぐさめてあげないといけないので。

僕だったらキャラにすごく厳しくしちゃいそうな気がします。「お前、頑張れよ!」みたいな。「もっと頑張れ!」って言っちゃいそうですね。

それは、太田さんには「頑張れよキャラ」がいるってことですよね。

そっか。「頑張れよキャラ」なんだ!それもね。

それだけ太田さんの中のキャラが一生懸命「頑張れよ、お前!」って言うってことは、「もしそうじゃなかったら、どうなっちゃうの?」って投げかけた場合、もやもやが生まれるかもしれませんね。
それを絵に描いてみて、「ここでやんなかったら、ここでこうだぞ!」みたいな確認はしてもいいかもしれません。
それを絵に描いてみて、「ここでやんなかったら、ここでこうだぞ!」みたいな確認はしてもいいかもしれません。

少し楽しそうですね(笑)。

別に多重人格ってわけじゃなくて、単純に人間にはいろんなモードがあるんですよ。「頑張れよ、お前!」モードとか、「もう、無理」モードとか、「ノリノリです!」モードとか、いろんなモードがあります。それぞれがちゃんと自分の大切な一部なんですよね。
だから、そのどれかが著しく強くなりすぎてしまうと、少しつらい思いをすることもあるんです。「頑張れよキャラ」がちょっと今強いなと思ったら、そのキャラに「どうした?」って聞いてあげるといいですね。
だから、そのどれかが著しく強くなりすぎてしまうと、少しつらい思いをすることもあるんです。「頑張れよキャラ」がちょっと今強いなと思ったら、そのキャラに「どうした?」って聞いてあげるといいですね。
「頑張れよキャラ」が生まれるきっかけ

「頑張れよキャラ」はなんでできてしまうんですか?僕は結構、自分の中ではそのキャラが強い気がするんですよね。いただいた投稿でも、「頑張れよキャラ」が強い子が多いんじゃないかという気がしたんですけど。

「もともとの性格」と言ってしまえばそれまでですが、生きてく中でそのキャラがいたことによって生き残れた、そのキャラが役に立ってたというところもあるんです。例えば、そのキャラでいろんな難所を乗り切ってきたとかですね。
「この間も頑張ってうまくいったじゃないか」みたいな時に、頑張れよキャラはますます強くなるんです。
「この間も頑張ってうまくいったじゃないか」みたいな時に、頑張れよキャラはますます強くなるんです。

でも、年齢によって行動は変わるし、場所によっても自分のなすべき役割は変わります。
「頑張れよキャラ、今そこまで大きい声を出さなくても大丈夫だよ」と言ってあげる。そうすると結構自分を守りやすかったりしますし、もっと健康に生きていけるかもしれないですね。
「頑張れよキャラ、今そこまで大きい声を出さなくても大丈夫だよ」と言ってあげる。そうすると結構自分を守りやすかったりしますし、もっと健康に生きていけるかもしれないですね。
何人もキャラがいるのは変じゃないの?

自分の中に何人もキャラがいることって、おかしいんじゃないかなって思っちゃいそうな気がします。
僕だったら、「頑張れよキャラ」がめちゃくちゃ声が大きくて、でも自分の中には友達に甘えたい、「ねえねえねえ」って絡みたい自分もいるんです。それを「大人キャラ」みたいな自分が、「キモイからやめなよ」って言っちゃったりして、なかなか絡めない。
僕だったら、「頑張れよキャラ」がめちゃくちゃ声が大きくて、でも自分の中には友達に甘えたい、「ねえねえねえ」って絡みたい自分もいるんです。それを「大人キャラ」みたいな自分が、「キモイからやめなよ」って言っちゃったりして、なかなか絡めない。

そうやって自分の中でキャラが戦っていることも、おかしいことなんじゃないかなって考える方も多いんじゃないかと思うんですけど。キャラがいっぱいいるというのは自然なことなんですか?

いくつかいても全然おかしくないですね。ただ、小さい頃に特定のキャラが自由奔放にふるまうことで怒られた記憶があると、大人キャラはそれを抑え込もうとするかもしれません。「お前がそんなに騒ぎ出すと怒られるから、静かにしろ」みたいな。
でも何事も程度の問題で、大人キャラが自分の自由さっていうのをあんまり抑えすぎてもよくないはずですね。
でも何事も程度の問題で、大人キャラが自分の自由さっていうのをあんまり抑えすぎてもよくないはずですね。


死にたいほど苦しくなる背景に、「自分の中にあるキャラの中で今このキャラが強いな」「このキャラが強いことによって自分にはストレスが強くなっているな」「なんだかプレッシャーが強くなっているな」みたいなものがあれば、少しそのキャラと話をしてみてください。
「今は大丈夫。今は少し緩めたって、死にやしないから」「今頑張らなくたって、死にやしないから」っていう安心のさせ方があってもいい。
「今は大丈夫。今は少し緩めたって、死にやしないから」「今頑張らなくたって、死にやしないから」っていう安心のさせ方があってもいい。

「自分の中にこんなキャラがいるんだなあ」って客観的に眺められるようになると、極端につらくてどうしようって思っていた感情が早めに静まってくれたり、ちょっとだけ気持ちが楽になるということもあったりします。
井上祐紀先生から10代へのメッセージ

最後に、井上先生から10代の方にメッセージをいただいてもいいですか?

逆転の発想で、自分を好きになる必要はないかなと思っています。自分のダメなところ、足りないところをよーく知っていても、生きることができます。
別に強い人間になる必要もないと僕は思ってます。自分を好きになる必要もないし、強くなる必要もない。自分を好きになれなくても、強くなくても、生きていくことができます。
別に強い人間になる必要もないと僕は思ってます。自分を好きになる必要もないし、強くなる必要もない。自分を好きになれなくても、強くなくても、生きていくことができます。

自分がどんなキャラを持っていたとしても、自分の中でうまく折り合いをつけて生きていく道って、実はあるんです。それはまた、こういう機会を通じて一緒に考えていけたらいいかなあと思います。
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