人間関係と学校の悩み#2
ひとりが怖いと思ってしまう理由と解決策
- 暴言・無視・ひいき
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2021年に行われたオンライン相談会「YouTube Live 友達付き合い・自分の気持ちがわからない」の書き起こしです。
人間関係がつらい。自分が分からない。学校ってどれくらい大事?YouTube Liveのプレイリスト
前回は「いじめられてる原因探しをしてはいけない理由」についてでした。
今回は、「ひとりになってしまうのが怖い」についてです。
ゲスト:井上祐紀先生(児童精神科医/子どものこころの専門医)
MC:太田尚樹さん
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
ひとりが怖いと感じる理由は何?
(自分の失敗のことといじめを受けていることを)分けて考えて、自分が今回寝ちゃったのはあるけど、悪いのは向こうだと思った後に、僕だったら「(それでも)仲良くしたい」とか、どうしたらいじめてくる子たちと仲良くできるんだろうって考えたりすると思います。それって、どうしたらできるのですか?
なるほど。もしうまくやっていけないとしたら、どんなことが起きちゃいそうですか?どんなことを恐れますかね?(加害者と)うまくやっていけなかったら、どんなことが起きちゃうでしょうか?
ひとりになっちゃうとか?
集団の中で、なんとなく、ゆるーく、そこの集団の中にいられるかどうか。あるいは、その中から離れて、ひとりになってしまう時間ができてしまうかどうか。なるべくひとりでいないようにしようとか、なるべくこの集団の中にいられるようにしようということで苦しんでらっしゃる方って、もしかしたら少なくないのかな、なんて思います。
「うまくやっていく」という中身の実態は、自分は少々苦しくても、集団の中に所属していられたり、「友達だよね」みたいな輪っかの中にいられたりするってことなのかもしれません。もしかして、そんなような苦しいことを目指して、「うまくやらなきゃ」って思ってらっしゃる方って、実はすごく多いんじゃないかなと思うんですよね。
ひとりぼっちになりたくなくて頑張ってしまう
そうかもしれないです。輪を乱したくないというか、輪を乱していない側にいたいって思うかもしれないです。
あるかもしれないですね。なので、本当は、泥棒並みのとんでもない行動をされるなら、その泥棒とは仲良くしないですよね。泥棒は違法行為なわけです。自分に被害を与えた相手は、まず自分の行為と向き合ってもらって、もうしないって事を約束し、その人はもしかしたら何らかのペナルティを受けるべきですよね。
もちろん子ども同士の話で、罰ばっかりが良いかはまた別の問題ですが、少なくともその人は自分がやった問題にちゃんと向き合わなきゃいけない。
だけど、それがなんとなく放置されているうちに、「またいじめてくる可能性のある人たちとも一緒にいなきゃいけないんじゃないか」って考えが出てきちゃうんですよ。
だけど、それがなんとなく放置されているうちに、「またいじめてくる可能性のある人たちとも一緒にいなきゃいけないんじゃないか」って考えが出てきちゃうんですよ。
たしかに、「一番嫌ってくる人に、一番好かれたい」って思っちゃってたかもしれないです。みんなはそうかわからないけど、僕はそうでした。
それは太田さんだけじゃなくて、私も普段の相談でたくさんの方から聞くご意見ですよ。「やっぱりうまくやりたい」ってことって、よく突き詰めて考えていくと、やっぱり群れの中にいたいという心理なのです。
「集団の中にいることと、ひとりでいることのどっちを選ぶか」っていうのはすごく難しい問題なんだけど、やっぱりこう集団の中にいると、何か一定の「魔力」みたいなものを感じるんだと思います。
「集団の中にいることと、ひとりでいることのどっちを選ぶか」っていうのはすごく難しい問題なんだけど、やっぱりこう集団の中にいると、何か一定の「魔力」みたいなものを感じるんだと思います。
集団の魔力って何?
魔力?
変な言葉使っちゃってすみませんね。例えば、みんなと一緒に街を歩いていると、なんとなく連帯感が生じます。これはみんながみんなそうじゃないかもしれませんが、例えばお祭りがやっていて、お祭りの会場を5、6人くらいでウェイウェイ言いながら歩いていると、なんとなく連帯感があって、何となく元気が出るような気がして、言葉を変えれば、自分が強くなった気持ちがします。
少なくとも弱気にならずに済むような感じがすると思います。ひとりでお祭りの中を歩いていて、向こうから同じ学校の子どもたち集団がワーッときて、すれ違うとしますよね?
そうすると「ああなんか、楽しそうでいいな」と思うのかもしれません。その中に入れた時の独特の所属感っていうか、元気になる感じというか、ちょっと強くなる錯覚的な想像というのが魔力かと思っています。
少なくとも弱気にならずに済むような感じがすると思います。ひとりでお祭りの中を歩いていて、向こうから同じ学校の子どもたち集団がワーッときて、すれ違うとしますよね?
そうすると「ああなんか、楽しそうでいいな」と思うのかもしれません。その中に入れた時の独特の所属感っていうか、元気になる感じというか、ちょっと強くなる錯覚的な想像というのが魔力かと思っています。
なるほど、たしかにありました。でもそれって魔力なだけなんですか?
はい。この魔力を手放したくないので、 本当の自分をすごく押し殺してみたり、嫌な事をされても、我慢しなきゃいけない場面が生じるかもしれない。
だから、結果的に自分を蝕んでしまうのかもしれません。やはり魔力なんです。そのため、魅力じゃなくて、いつも魔力って呼んでいるのです。
だから、結果的に自分を蝕んでしまうのかもしれません。やはり魔力なんです。そのため、魅力じゃなくて、いつも魔力って呼んでいるのです。
ひとりでいることの魅力って?
例えば、お祭りの時に5、6人でいたら5、6人の人たちと同じ方向を歩かなきゃいけないじゃないですか?自分は、りんご飴買いたいなあと思っているのに、みんながお好み焼きのほうに行くから、自分もそっちについていかないといけないその瞬間、どうしても自分を抑えなきゃいけないですよね?
でも、ひとりでお祭りを歩くっていうのは、すごく自由。自由だし、自分が自分の好きなようにしていていいわけですよ。これはもう何物にも代えがたい魅力と僕は思っています。「ひとりでいる事には魅力があるんだよ」っていう様にいつもお伝えしています。お祭りの例えですけどね。
でも、ひとりでお祭りを歩くっていうのは、すごく自由。自由だし、自分が自分の好きなようにしていていいわけですよ。これはもう何物にも代えがたい魅力と僕は思っています。「ひとりでいる事には魅力があるんだよ」っていう様にいつもお伝えしています。お祭りの例えですけどね。
いや、すごく分かりやすいです。確かに「本当はりんご飴食べたかったのに」とかあったのを思い出します。それはつまり、ひとりの時間を楽しんでみるのもいいかもしれないってことですか?
そういうことですね。集団でいることの魔力をいったん手放して、嫌なことがあったら、ちょっとクールダウンしてみる。「あいつらとは、ちょっと少し、間をあけてみよう」と。少なくとも、LINEしたり、電話したり、メールしたり、ちょっと1週間くらいしなくても良いですよね。
まずそれで相手の出方を見るというのはすごく大事。「ちょっとしばらくの間、この学校生活っていうお祭りをひとりで歩いてみよう」みたいなのは1つあります。取るべき方法はいろいろあると思いますけど、そのうちの選択肢の1つになるかもしれません。
まずそれで相手の出方を見るというのはすごく大事。「ちょっとしばらくの間、この学校生活っていうお祭りをひとりで歩いてみよう」みたいなのは1つあります。取るべき方法はいろいろあると思いますけど、そのうちの選択肢の1つになるかもしれません。
そう思うと、ちょっと楽しそうにも思えるなあ。なるほど。
今までやったことのないことだと思うので、勇気が必要ですが、集団の中にいることには必ずそういう魔力が存在するというのは考えていただきたいなと思います。
僕自身は聞いてて今すごくワクワクしました。でも、「でもやっぱりひとりになるのは怖いなあ」とか思っちゃう気もして、どうしてもひとりでいるのがつらいっていうか、嫌だっていう子もいたりすると思うんですけど、どうしたら良いんですか?
どうすればひとりの不安を解決できるか
そうですね。ひとりでいると生じるのが、どんな感情かによると思います。例えば、すごく怖くてしょうがない状況がもし起こるのであれば、それは本当に無理をしないほうがいいですし、それはちょっと何日か学校を休んだって構わないと思うんです。
怖くてしょうがないのであれば。それは受けてしまったダメージが大きすぎて怖くてしょうがなくなっている場合もありますからね。
そういうのは、絶対に無理をしちゃいけないんだけど、よく聞くのは、なんかさみしい、なんか気まずい、なんかさみしい感じ、ひとりになるって、一緒にいたグループから離れるのが何となくさみしいみたいなそういった感情です。
怖くてしょうがないのであれば。それは受けてしまったダメージが大きすぎて怖くてしょうがなくなっている場合もありますからね。
そういうのは、絶対に無理をしちゃいけないんだけど、よく聞くのは、なんかさみしい、なんか気まずい、なんかさみしい感じ、ひとりになるって、一緒にいたグループから離れるのが何となくさみしいみたいなそういった感情です。
ぜひちょっと覚えておいていただきたいのは、この寂しさっていう感情だけだったら、心を壊さないんです。「ああ、寂しい」って感じておくだけでは心は壊れたりしないんだけど、さっき言った「なんで探し」、「あの時のプレーがまずかったからかな」「自分がこんなことしたからまずいのかな」「自分は嫌われるような人間なのかな」っていうような理由探しをすればするほど心はつらくなっていきます。
離れる時の不安とか、極端な恐怖心は絶対に我慢しないほうがいいです。さびしさとか気まずさとか我慢できなくもない感情がそこにあるとしたら、1日だけ「それ」と一緒に学校生活をやるのも1つの方法で、理由探しをしないんだったら意外とやれます。
理由探しをせずにその感情と1日居てみるということをやってみても良いと思います。理由探しをしちゃいそうになったら、「ああ、いけない、いけない」って思って下さい。「ああ、今日はただ単純にさみしいな」「なんとなく、さみしくて泣きそうだな」っていう、その感情に浸っていても、心は壊れないです。
理由探しをせずにその感情と1日居てみるということをやってみても良いと思います。理由探しをしちゃいそうになったら、「ああ、いけない、いけない」って思って下さい。「ああ、今日はただ単純にさみしいな」「なんとなく、さみしくて泣きそうだな」っていう、その感情に浸っていても、心は壊れないです。
理由を探しちゃうと、どんどん自分が悪い気がしてきちゃって、心が壊れちゃうっていうことがあるってことですか?
そうです。もうひとつ覚えておいてほしいんですけど、24時間持続する感情はないんです。1時間くらいはあるかもしれませんよ?何時間かもしれないですけど。でも、絶対その感情って、浮いたり沈んだりしているはずなんです。
「さみしい、さみしい」と思っていても、授業が始まったらとりあえずノートとる。ノートとっているうちにそのさみしさが、すこし沈んできたりします。でも休み時間が始まってみんながワイワイしているのを少し離れて見ていると、「ああ、またなんかさみしい」という感情が高まってくるかもしれない。
でもまた、治まってくるかもしれない。同じ感情を24時間ずっと持っていることはないのです。だから、心は壊れないようにできている。
でもまた、治まってくるかもしれない。同じ感情を24時間ずっと持っていることはないのです。だから、心は壊れないようにできている。
しかも、自分の粗探しをしてしまったり、自分にダメ出しをするような、そんな理由探しをすると、もうますますつらくなっちゃいますよね?
なるほど。ちょうどコメントで、いま私たちが話していたことについていただいたので紹介したいんですけれども、「理由を、自分がいじめられたつらい思いを、経験させられている理由を考えられないでいられる、そんなに強い心を持っている人ばかりじゃないと思います」という様なコメントもありました。すっごい分かります。
私はそんなに強くない・・・
その通りなんです。実はこれ、私はさらっと言ってしまったけれど、そんなに簡単なことじゃない。なぜなら、今までめっちゃ自分の頭の中でやってきたことじゃないですか。自分の頭の中でめっちゃやってきたことを、急に変えようって言ってもうまくいかないってことは、しばしばあります。
急に私が言ったけど、それをすぐに実現しようって考えないでください。その代わりに、「あ、今理由を考えたな、俺」「あ、今理由を考えたな、私」っていう自分に、最初は気づくだけで大丈夫です。「あーそっかそっか、今理由探ししているのね、だからちょっと今つらいのね、うんうん」みたいな。
急に私が言ったけど、それをすぐに実現しようって考えないでください。その代わりに、「あ、今理由を考えたな、俺」「あ、今理由を考えたな、私」っていう自分に、最初は気づくだけで大丈夫です。「あーそっかそっか、今理由探ししているのね、だからちょっと今つらいのね、うんうん」みたいな。
そういったトレーニングをすると、自分を観察する自分みたいなのがちょっとずつできてきます。これすっごい練習が必要で、2日、3日だと、なかなかすぐにはできないけど、2週間、3週間やると、段々自分を観察する自分が出てきて、少しだけ冷静な自分を持てるようになってくることがあります。
だから、「こんなのすぐに変えられないよ」って思った時には、自分がつい理由を考えたことに気づくだけで大丈夫です。で、もし気づいたとしたら、コメントをくださったこの方ももし気づいたとしたら、もうあなたの心の在り様っていうのは少しずつだけど、変わり始めていると思ってください。
だから、「こんなのすぐに変えられないよ」って思った時には、自分がつい理由を考えたことに気づくだけで大丈夫です。で、もし気づいたとしたら、コメントをくださったこの方ももし気づいたとしたら、もうあなたの心の在り様っていうのは少しずつだけど、変わり始めていると思ってください。
へえ~。例えばそれでも理由探しをしてしまい、ただ今回は「今考えちゃっているな」と自覚しているとします。そうすると「理由探しをしてしまうのはそもそも私が悪いのだからしょうがないよな、当然だよな」と思い続けてしまうと思うのです。「きっと私が悪いのだろう」という呪縛から抜け出せずに自分が悪いと思い続ける。そういった思考はどう考えれば良いのでしょうか?
そうですね。まずちゃんと気づくっていうのが大事。例えば、「今日は1限から6限までの間で何回くらい考えちゃったかもなあ」って、回数数えても良いくらいなんです。この自分が悪いって思っちゃう所を少しでも何とか扱っていこうと思うと、客観視する練習が必要です。
客観視する練習がちょっとずつ、ちょっとずつできる様になってくると、少しずつ変わってきます。「今理由を考えちゃっているな~」って気づくことに慣れてきたら、さっきの泥棒の話を思い出していただき、「自分が何%くらいこの出来事で悪いのかなあ」って、自分でパーセントを考えるのも1つです。
客観視する練習がちょっとずつ、ちょっとずつできる様になってくると、少しずつ変わってきます。「今理由を考えちゃっているな~」って気づくことに慣れてきたら、さっきの泥棒の話を思い出していただき、「自分が何%くらいこの出来事で悪いのかなあ」って、自分でパーセントを考えるのも1つです。
例えば「100%だ」と最初は思っていた。最初は思っていたけど、泥棒の話聞いたら「そうだ、あいつも結構ろくでもないよなあ」って思うと、「うーん今考えると、自分が5割で相手が5割かなあ」とか、そこも、自分が悪いって思っていたのが徐々に逆転していく。
いきなり「相手が悪い」って考えが急に変わるわけじゃないんです。「自分が100%悪い」って思っていたのが、99、98、97%…って段々だんだんジワ~っと変わってくものなんです。だから、パーセンテージにしたら、毎日毎日1%ずつでもちょっとずつ変わってくる。そういうのはジワ~っと時間をかけてあげても良いかと思います。
いや、本当ですよね。Instagramで悪口を書かれたっていう方の事を考えても、最初だったら、「いや自分が悪い事したんだし、自分が悪い」って思っちゃうけど、いま先生の話を聞いたら、「確かに、別に(SNSに自分の悪口を)書く必要はないし、向こうも悪いなあ」とか、そういう「何%か」とかって事は考えてみるといいのかも。少し落ち着きそうだって思いました。
そうですね。ぜひ試してみてください
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