人間関係と学校の悩み#5
私なんかよりつらい人がいると思ってしまう
- 心身の不調
- 体験談・インタビュー
2021年に行われたオンライン相談会「YouTube Live 友達付き合い・自分の気持ちがわからない」の書き起こしです。
人間関係がつらい。自分が分からない。学校ってどれくらい大事?YouTube Liveのプレイリスト
前回は「“キャラ”で人間関係無理してる?」についてでした。
今回は、「私なんかよりつらい人がいると思ってしまう」についてです。

ゲスト:井上祐紀先生(児童精神科医/子どものこころの専門医)

MC:太田尚樹さん
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
Mex(このサイト)がやっているYouTube LiveでMCを担当しています。
投稿紹介~学校に行きたくない~

コロナによる休校が明けてから、Mex(ミークス)には学校に行きたくないという声が本当にたくさん寄せられています。いくつか投稿を紹介していきたいと思います。



2つの投稿についてしっかり考えていきたいんですけれども、1つ目のほうを読んでいて心にグサッと残ったのが、「たいして頑張ってないのに」っていう表現です。そういうふうに考えちゃうこと、ありますよね。
僕も昔、ちょっとつらかった時期があったんですけど、「自分なんかよりもっとつらい人がいるのに」とか「自分なんて全然もっと耐えなきゃいけないのに」っていうことを思っていたんですけど、そういった子にはなんて声をかけたらいいんですかね。
僕も昔、ちょっとつらかった時期があったんですけど、「自分なんかよりもっとつらい人がいるのに」とか「自分なんて全然もっと耐えなきゃいけないのに」っていうことを思っていたんですけど、そういった子にはなんて声をかけたらいいんですかね。
自分よりつらい人がいるからガマンする?

つい愛想笑いしちゃうっていうのにも通じるんですけど、周りに求められている自分をとにかく維持するので精一杯なんですよね。
例えばアスリートとして求められているとか、成績優秀者として求められているとか、みんなから勝手に「あなたってこういう人だよね」ってイメージ作りされることってありますよね。
それを維持するためには自分の苦しみを過小評価しないとやってられないんです。「もともとの自分はそうじゃないのに」という気持ちを押し殺さないとやっていけなくなっちゃう。
例えばアスリートとして求められているとか、成績優秀者として求められているとか、みんなから勝手に「あなたってこういう人だよね」ってイメージ作りされることってありますよね。
それを維持するためには自分の苦しみを過小評価しないとやってられないんです。「もともとの自分はそうじゃないのに」という気持ちを押し殺さないとやっていけなくなっちゃう。


非常に不器用なやり方なんだけど、その場をしのぐためにそうやって頑張ってきたんですよね。だから、「あんまりそんなふうに考えないで」って一概に言っちゃいけないような気もします。それが今、私の偽らざるところです。
「そんなこと思わないで」ではなくて、「『私なんか頑張ってないのに』って思っちゃうよね」っていう言葉がまず出てきちゃいます。
「そんなこと思わないで」ではなくて、「『私なんか頑張ってないのに』って思っちゃうよね」っていう言葉がまず出てきちゃいます。

でも、本当にそういうふうに考えちゃう人はたくさんいるんですよ。そういうふうに「自分なんか頑張ってないのに」って、自分の苦しみを押しつぶそうとする。そうしないとやっていけない、っていう。

自分の苦しみを押しつぶそうとしているんですね。
コロナの影響

苦しみを押しつぶそうとする、こういうパターンっていうのはもう、本当に1人じゃない。投稿者の方のように、様々な人が学校でこういうつらい思いをしているんだろうなって思います。

特に新型コロナウイルス感染症に伴う社会の変化で、こういうふうになりやすい時でもあります。休校などコロナによって生活リズムを破壊されたり、日常が奪われたりしたことの影響はめちゃくちゃ大きいと思うんです。
目標を見失った人も多いだろうし、楽しみにしていたことができなくなったりしていますよね。アスリートなんかは、大会という大会がなくなってしまいました。受験生も「受験だってこれからどうなるんだろう」って不安でいっぱいですよね。
目標を見失った人も多いだろうし、楽しみにしていたことができなくなったりしていますよね。アスリートなんかは、大会という大会がなくなってしまいました。受験生も「受験だってこれからどうなるんだろう」って不安でいっぱいですよね。

一方で、コロナが明けたことで、教育者や学校の先生による「遅れたんだから取り戻さなきゃ」みたいな流れがちょっと強すぎる気がします。
子どもたちは、すごく影響を受けているっていうことを知ってもらいたいです。コロナに関連した生活リズムの変化は、子どもたちの健康状態を揺るがせているんです。
子どもたちは、すごく影響を受けているっていうことを知ってもらいたいです。コロナに関連した生活リズムの変化は、子どもたちの健康状態を揺るがせているんです。

こうやって「もっと頑張んなきゃ。自分は足りない」って考えちゃう気持ち、分かるなあと思うんですけど、投稿者の方は「学校に行くのが本当につらい」っていう状況ですよね。そういう中で学校に行く必要ってないんじゃないかなあと思うんですけど、先生はどう思いますか?
つらくても学校に行くべき?

「学校に行くのがつらい」というのは、熱を出したのと同じなんです。コロナで熱を出して学校を休むと、出席停止になって欠席扱いにはなりません。つまり、からだの心配とか感染症の心配だったらすっごいしてくれるわけですよ。
熱が出て休んだり、体が不調になって休んだりするのがすごく大事なように、死にたいくらいつらい気持ちになった時に休むってめちゃくちゃ大事です。それはなぜなら、健康問題だから。
熱が出て休んだり、体が不調になって休んだりするのがすごく大事なように、死にたいくらいつらい気持ちになった時に休むってめちゃくちゃ大事です。それはなぜなら、健康問題だから。

そっか。じゃあ、逃げる逃げないとかそういうことではなく…。

健康問題なので休んだほうがいいんです。
別にお医者さんがどういう診断をしたから(休む)じゃなくって、お医者さんが太鼓判を押そうが押すまいが、「これは健康問題なんだ」って考えたほうがいいと思います。特にこのコロナの時期は。
別にお医者さんがどういう診断をしたから(休む)じゃなくって、お医者さんが太鼓判を押そうが押すまいが、「これは健康問題なんだ」って考えたほうがいいと思います。特にこのコロナの時期は。

親とか先生とかには何て説明したらいいんですかね?

自分のからだがどんな感じがするのか、洗いざらい話すといいと思います。気持ちってすごく表現しづらいんですよ。例えば太田さんは緊張しちゃったり、不安な時ってからだがどうなります?

こわばるとか、手が震えるとかはあるかもしれないですね、緊張すると。

なるほど。そういう場合は「今日はなんだか朝からすごく手がこわばって緊張するんだ」と言っていいと思います。そして、死にたいくらいつらい気分の時には、もっといろんなところが苦しいはずです。
「今日はどうしてもからだが動かない」「今日はどうしても胸の辺りが息苦しくてしょうがない」「今日はどうしてもご飯が食べられない」って、からだの症状を口に出してみましょう。
「今日はどうしてもからだが動かない」「今日はどうしても胸の辺りが息苦しくてしょうがない」「今日はどうしてもご飯が食べられない」って、からだの症状を口に出してみましょう。

気持ちじゃなくていい。自分のからだに起きている変化をとにかく言いましょう。からだのどこがつらいか。絶対からだのどこかが影響を受けているから。からだがつらいんだったら、休んでいいじゃないですか。
親がつらさを分かってくれない時は

なかなか聞いてくれない親御さんもいたりする気がしますが、そういう場合ってどうしたらいいんですかね。

体調が悪いって言ってるのに休ませない親ねえ。いちゃ困るけど、いるんでしょうね。
でも、これは健康問題なんです。どうしても家から送り出されちゃって学校に行くしかなかったら、いの一番に保健室へ行きましょう。養護教諭に「今日は朝からどうしてもこうなんだ」って言ってみましょうよ。
でも、これは健康問題なんです。どうしても家から送り出されちゃって学校に行くしかなかったら、いの一番に保健室へ行きましょう。養護教諭に「今日は朝からどうしてもこうなんだ」って言ってみましょうよ。

保健室の先生に言うっていう方法はありますよね。

とにかく、つらいことは3人に言ってみましょう。親でダメなら、保健室でダメなら、別の大人なら…って。「3人に言ってみよう」っていうのはよくおすすめします。
気持ちっていうところを説明したりするのは、すごい大変ですよね。
気持ちっていうところを説明したりするのは、すごい大変ですよね。

そんなにつらい気持ちを抱えて学校に行く必要はないってことですよね。


新型コロナ等々の悪影響で、ますます世の中が混とんとしている時なので、今まさに非常事態だと思います。子どもたちの心も本当に非常事態。
だからこの非常事態で、より理想的に結果を出しながら生きていくっていうのはすごく大変なんです。理想的に生きていこうって思ったら、すっごくつまづきを感じやすいですよね。
だからこの非常事態で、より理想的に結果を出しながら生きていくっていうのはすごく大変なんです。理想的に生きていこうって思ったら、すっごくつまづきを感じやすいですよね。

とにかく今は、理想的に生きるよりも、生きるのが理想みたいな、そんな世の中です。生き残ってさえいれば、何とでもなります。
生き残るために、「自分が1人でいる時に、どんな活動で、どんな場所で、どんなことができていると、少しだけいい感じになれるのかな」っていうことを探して、そこだけは絶対死守する。そういうふうにやっていきたいものですよね。
生き残るために、「自分が1人でいる時に、どんな活動で、どんな場所で、どんなことができていると、少しだけいい感じになれるのかな」っていうことを探して、そこだけは絶対死守する。そういうふうにやっていきたいものですよね。

マンガを読むとか、1日のうち15分だけでもいいから、ケアの時間を大事にしながら。

それが生きることなんだと思います。何も理想的に頑張らなくたって、それだけで十分だと思います。
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