親子関係カウンセリング#2:親が重い・逃げたい
親の言うことって聞いた方がいい?
- 暴言・無視・ひいき
- たたく・殴る
- 体験談・インタビュー
前回は「親が褒めてくれない」についての内容でした。
今回は、「親の言うことって聞いたほうがいい?」というテーマで、10代のお悩みや質問にお答えします。
登場人物紹介
ゲスト:信田さよ子さん
公認心理師・臨床心理士の資格を持つカウンセラー。親子、夫婦関係など家族問題に関するカウンセリング経験が多くあります。
公認心理師・臨床心理士の資格を持つカウンセラー。親子、夫婦関係など家族問題に関するカウンセリング経験が多くあります。
MC:太田尚樹さん
前回のYouTube Live「LGBTQあるある」に引き続き、MCを務めます。
前回のYouTube Live「LGBTQあるある」に引き続き、MCを務めます。
親は子どもの苦しみに気づかない
あとは、この2人目の方にあったように、「自分はギリギリ頑張っているんだ」と。そして、それを親に言えないのは多分、「あなたは『ギリギリ。』って言うけど、あなたの力はそんなもんじゃないわよ」と親に絶対言われるから、言わないと思うんですよ。でもね、「自分はもうギリギリなんだ」とか、「疲れちゃったんだ」とか。そういう弱音を親に対して積極的に吐いてもらいたい。それはちっとも悪いことではないし、親は意外と気づいていないんです。
大人がなんで褒めてくれなかったり、きつく当たったりするのかというと、本当に気づいてないからだと。苦しんでるとか、不安だっていうことを気づいてくれてないっていうことが多いんですね。
そういうことでしょうね。それをなぜ私が断言できるのかというと、カウンセリングで、多くの人たちは、今日のご質問にあったような問いかけを20歳を過ぎてもずっと抱えるわけですよ。
カウンセリングに来る人たちはだいたいもう20歳以上の方ですが、子どもの立場からそういうふうに思っていて、時には摂食障害的な症状とか、リストカットとか、そういう行動が出ちゃって、だから親も心配になってカウンセリングに来ることがあるんです。その時に親御さんに会うと、本当に不思議なくらいね、「あんな元気な普通の子どもが、なんでこんなことやってしまうんでしょう?」って。正直皆さん気づいていないんですよ。だから、子どもの立場が持っている一定のラインと親が見ている子ども像って、同じ家にすごく密着して住んでいても、とてもかけ離れているんです。
カウンセリングに来る人たちはだいたいもう20歳以上の方ですが、子どもの立場からそういうふうに思っていて、時には摂食障害的な症状とか、リストカットとか、そういう行動が出ちゃって、だから親も心配になってカウンセリングに来ることがあるんです。その時に親御さんに会うと、本当に不思議なくらいね、「あんな元気な普通の子どもが、なんでこんなことやってしまうんでしょう?」って。正直皆さん気づいていないんですよ。だから、子どもの立場が持っている一定のラインと親が見ている子ども像って、同じ家にすごく密着して住んでいても、とてもかけ離れているんです。
かけ離れている?
つまり、仮に数字で言うと、1から5で5が最高だとすると、親はいつまでも「この子は2くらいだわ」と思っているわけですよ。でも子どもからしたら、「自分は4くらいやってると思っているのに、そのことを親は評価してくれない」と思ったりしてるわけでしょう。だから、2と4の差っていうのがあるっていうことですね。
完璧を求める親の価値観
じゃあ「もっと頑張らなきゃ」とか思う子って多いと思うんですけど、そうじゃないんですか?
そうですね。「もっと頑張らなきゃ」って思うのにも、いろんな頑張り方があって、「自分はここまでやって、すごく褒められたから、もっと頑張ろう」っていう頑張り方と、「どこまで行ってもゴールがどんどん遠くなって、どれだけ走っても自分はオッケーって言われない」っていう頑張り方は、ありますよね。人生において、褒められながら頑張っていく方が、遥かにその人は力があるんです。ところが、ずっと褒められないで、「ダメよまだダメよ」、98点を取ると「100点じゃない」って叱られる。
僕もそういうこと考えてた気がします。昔。
私よく「98点ママ」って言っているんですけど。だって70点とっていたのが98点になったら、「褒められる」と思うじゃない?なのに、そうなると、親に「どうして100点取れないの?」って叱られるんですよ。
うーん。なんでお母さんとかは、そう言うんですか?
もっと頑張れば100点いけると思うからでしょうね。
へえ~。それってお母さんとかは不満ってことなんですかね?
親は、「不満だから100点をとって欲しい」んじゃなくて、「100点取らないとこの子の人生はどうかなっちゃう」って思ってるんですね。いわゆる「頭が良くなること、受験勉強を頑張る事、いい学校に行くこと、いい点数をとることがこの子の人生の幸せなんだ」っていう物凄い価値観があるんです。
子どもがだいたい小学校3年生くらいから変わってきますよね。それまでは、「のびのびすればいい」って言ってた親が、急に「点数、点数」って言い始めるのは、受験が目の前に登場した時です。だからそこで、親の価値観がガラッと変わって、あとは競馬の馬を調教するように、どんどんゴールに向かって走らせるという風になっていくんです。
子どもがだいたい小学校3年生くらいから変わってきますよね。それまでは、「のびのびすればいい」って言ってた親が、急に「点数、点数」って言い始めるのは、受験が目の前に登場した時です。だからそこで、親の価値観がガラッと変わって、あとは競馬の馬を調教するように、どんどんゴールに向かって走らせるという風になっていくんです。
親の言うことを聞いたほうがいい?聞かなくてもいい?
やっぱり子どもは親の価値観に従った方がいいんですか?
「別にどっちでもいい」と私はいつも思うけど、子どもは、親を離れて別の人のところで暮らせないから。それは宿命みたいなものですよね。子どもが、「こんな家は嫌だから、別の家に行ってのびのび暮らしたい」っていう選択をすることができればね、「言うこと聞かなくてもいいですよ」って私は言えるけど。
でも、今の日本とか世界では、子どもは自分を産んでくれた親から離れて、別の生活を送ることを選べないから、大変ですよね。だから親の言うことを聞かないといけないけど、先ほども言ったように、親の多くは、子どもが「苦しい」とか「大変だ」とか「褒めてもらいたい」と思っているということに、残念ながら、ほとんど気がつかない。
でも、今の日本とか世界では、子どもは自分を産んでくれた親から離れて、別の生活を送ることを選べないから、大変ですよね。だから親の言うことを聞かないといけないけど、先ほども言ったように、親の多くは、子どもが「苦しい」とか「大変だ」とか「褒めてもらいたい」と思っているということに、残念ながら、ほとんど気がつかない。
はあ~。「お母さんの言うことを聞かないといけないのかなあ」ってどんどん思っちゃいそうな気がするんですけど、それは聞かなくて良いんですか?
「聞かなくてもいい」って言っても、聞かないなんてできないでしょう?一方で、さっきの質問にもあったけど、「本当の私を分かって欲しい」っていう言い方があったでしょう?その時に、「言うことを聞いている自分」と、「言うことを聞いている自分を隣で見ているような自分」を作らなきゃいけないんです。今日の全体の話になってくるけど、「親から見た自分っていうのは自分の中のごく一部だ」って思わないといけない。
「それ以外の自分」っていうのは、例えばこの2人目の方だと、「本当の自分」っていう言い方をしていますけど、「本当の自分」をどこかに持ってないといけないんです。親から認められなくても。
親に認められない本当の自分はダメ?
僕だったら、「本当の自分」がお母さんから認められてないなら、「本当の自分はダメ」って思いそうです。「100点取らないとダメな自分」がいて、「本当の自分」もいるときに、たぶん「本当の自分」は、「お母さんからしたら嫌われるから、ダメな自分だ」って思っちゃいそうな気がします。
なるほど。どこまで行っても母親が支配者なんだね。
今この記事を読んでくれているみんなと同じくらいの年齢だった頃を考えると、そんな気がしますね。僕の場合は大人になって、変わった部分はあるんですけど。例えば、僕はすごく音楽をやりたかったんですけど、「音楽をやりたい、音楽学校とか行きたい」って言っても、お母さんは明らかに興味がなさそうな顔をしているというか。「医者にでもなったらいいのにな」って思われてる、みたいなこととかが手に取るようにわかるのです。うちはその程度が酷かった訳ではないのですが、子どもの中にはもっと(程度が)激しい場合もあるんじゃないかと思うんです。「音楽をしたい自分は、ダメな自分なんだ」みたいに思っていましたね。
それはどこまで行ってもその本当の自分を親が判断してるわけよね?
うーん…そうだと思います。昔を考えると。
例えば、お父さんとかおじさんとかおばさんとかお兄さんとか、誰か別の人がいて、その人に少し自分のことわかってもらえていても、やっぱりお母さんが1番大事だから、「お母さんに認められたくて頑張る」っていう考えもあると思うの。そういう時に、その誰か、例えばお父さんとかは全然機能しないんですよね?
うちはあんまり機能しなかったですね。やっぱり小さい頃から漠然と「幸せにはなりたい」とは思っていました。「幸せとは何か」も分からないけど、とにかく「お母さんはこうなったら良いって言ってるから、そうなれば幸せなんだろう」ぐらいしか分かってなかったかもしれないです。そんな気がするんですよね。だからそういう子っているんじゃないかなって思って。やっぱり相談できる大人は多いほうがいいですか?
相談できる大人はたくさんいた方がいいの?
「1人でもいればいい」って私は思います。
「世界は、母親の価値観で全て覆い尽くされている」ということでしょう?それってものすごくきついことだと思うんですよ。
きついって思って良いんですか?
お母さんは神様じゃない
「きつい」ってことに、なかなか気づかないんですよ。「きつい」って言えるのはずいぶん後ですから。だから、このご質問のお2人も、「今自分は、とてもきついんだ」とかっていうのは、後に思うかもしれないけど、今はとにかく「お母さんに褒めてほしい」、「もっとこんな私を分かってほしい」っていうお母さんに対して要求しているのですよね。20歳を過ぎても、30、40になっても、結婚して子どもを産んでも、頭の全ての価値観が「自分の母親が認めてくれるか」ってことにずっととらわれてる女性や男性ってものすごく多いんです。
僕も結構ずっとそうだったかもしれないです。今もなんだかんだそうかも。「お母さんが絶対」って思ってると、中学生くらいの時は気づいてなくて、大人になって気付きました。今は気づいてるっていう段階ですね。「それが変えれるか」って言ったらわかりません。例えば、今でも仕事をしていて、みんなでいったら学校のテストのようなものだとして、結構いい仕事をして、80点くらいとって。前は60点だったんだけど、80点をとった時に、「80点だったな、100点じゃなかったな」って未だに思いますけどね。
今でも!?
今も思いますね。それがなんでかっていうと、「やっぱりそういう風に褒めてもらえなかったからかな」という気はします。
宗教ではよくありますよね。例えば敬虔なクリスチャンの人だと、「神様が見ている」とか、「ここで一生懸命勉強して、人の役に立つことが、神様の思し召し」ってなると、ある意味では、そういうことが自分の行動をコントロールするわけですよね。今のお2人の文章とかを読んでも、全てお母さんが絶対的な存在で、神様みたい。私は、すごく問題もあるし、ただの1人の女性である母親がすべて子どもの判断を、子どもの世界の中心を握っているということをやっぱり残酷なことだなって思うんです。この様になったのは、日本では珍しいことですよ。
「お母さんが神様だ」って思っている子がいるっていうことが?いっぱいいるんですか?
今はもうかなり多いですよ。そのまま大人になった人たちが、私たちのカウンセリングにわんさかいらっしゃいますから。歴史的に見ても、これほど一般化したのは最近のことですよ。21世紀…1990年代の半ばくらいから始まったことだと思います。ずっとこうじゃないんですよ。「変わってきてこうなったんだから、いずれこういう時代も終わるだろう」と私は思います。
親しかいない世界は危ない
「じゃあ、お母さんが褒めてくれないけど、もしかしたら褒めてくれる大人が他にいるのかも」とかって思うんですが…
おじいちゃん、おばあちゃんですね。
ああ。おじいちゃん、おばああちゃんとかに話してみてもいいんじゃないかっていうことですか?
そう。全員のおじいちゃん、おばあちゃんがね、そういうおじいちゃん、おばあちゃんとは限らないけど、1番現実的なのは、お父さんよりも、祖父母じゃないかな。
そっか。今僕すごくピンときます。僕は物心ついたら、片方のおじいちゃん、おばあちゃんはもう亡くなっていて、もう片方のおじいちゃん、おばあちゃんも、もうあんまり会話してもらえるような感じじゃない…年齢もあって、あんまり会話しなかったんです。父親は仕事を頑張ってくれていたんで、母親しか、大人で会話する相手がいなかったというのは、ありました。
そうですね。そういう構造自体がすごくやっぱり特殊なことだと思った方が良いですよ。
そっかそっか。親より大きい存在というか別の存在を、おじいちゃん、おばあちゃんでも良いし、作れたりするといいってことなんですよね。
そうですね。虐待においても家族が開かれることが1番予防になるって言われているんですね。
「家族が開かれる」っていうのは?
つまり、「親しかいないっていう世界は良くない」ってことが言われているんです。
なるほど。じゃあ、例えば、「おじいちゃん、おばあちゃんはあんまり会えないな。でも、親戚のおじさんおばさんだったら」とかそういうことでも良いんですか?
今、親族の付き合いがあまり無いでしょう?みんなで会うのをめんどくさがっちゃって。
世間ではあんまり交流しないようになっちゃっているので、今は個人的な付き合いはなかなか難しいかもしれないけど、例えば、「保育園に行っていた」とか、「学童保育に行っていた」とか、そういうときの保育士さんとか学童保育の学童クラブのお姉さんとか、お兄さん、そういう人でもいいし。それから、皆さんが行ってる学校には、スクールカウンセラー制度っていうのがあって、常勤のスクールカウンセラーが毎日いるはずです。
世間ではあんまり交流しないようになっちゃっているので、今は個人的な付き合いはなかなか難しいかもしれないけど、例えば、「保育園に行っていた」とか、「学童保育に行っていた」とか、そういうときの保育士さんとか学童保育の学童クラブのお姉さんとか、お兄さん、そういう人でもいいし。それから、皆さんが行ってる学校には、スクールカウンセラー制度っていうのがあって、常勤のスクールカウンセラーが毎日いるはずです。
スクールカウンセラーって?
先生じゃない大人がいるということですか?
なんでも相談できますよ。文部科学省は1995年からスクールカウンセラー制度をすでに始めているんです。ただ、「何かすごい問題がないと行っちゃいけないんじゃないか」って思っちゃう子がいるんです。カウンセリングでも、「私くらいのことでカウンセリングに行っちゃいけないんじゃないか」と思っている子が多いんだけど、こういうところに投稿するような、「褒めて欲しい」ということだけでも、カウンセリングの対象になります。
そっか。そういう時に、どこかで、「正しいのはお母さんだから、お母さんがスクールカウンセラーのことをどう思うかな」って僕だったら思いそうな気がしましたが。「お母さんとか親が正しくないこともある」って思っても良いってことなんですか?
(きっぱりと)そうですよ。
動画でご覧になりたい方はこちらから。 親が重い。逃げたい。親との関係どうしたらラクになる?YouTube Liveのプレイリスト(#1~#9)
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