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2018.05.01
親の離婚や家族のこと、誰にも話せなくて悩んでいませんか?
光本歩(みつもと あゆみ)さん(29歳)は、中学2年生の時にご両親の離婚を経験しました。
光本さん自身がご両親の離婚でどのような悩みを持っていたのか、話を聞いてきました。3回に分けて紹介していきます。
私が13歳、中学2年生のときに両親が離婚しました。詳しくは言えないのですが、お金のトラブルが原因だったので私にはどうすることもできませんでした。
ただ、離婚が決まる前、ちょっとおかしいなと思った時に「私がもっと早く何かしておけば何とかなったかもしれない…」という気持ちはありました。
離婚が決まって、中2の夏に母だけ家に残して、父と私と妹で、父の姉(おばさん)の家に行くことになったんです。
突然だったので、引っ越す日も、行先も誰にも言わないで行かなければいけませんでした。
学校の友達とバイバイ出来ないのもショックだし、もう気持ちの整理がつかないまま、最後に母と何をしゃべったのか、母がどんな顔をしていたのかも覚えていません。
転入先の中学校の最初の日に、職員室で全ての学校の先生の前で挨拶をさせられ、先生たちは歓迎の拍手で迎えてくれましたが、私は好きで転入したわけではなかったし、拍手されてたのを、前向きにとらえることができませんでした。
むしろ誰も私の気持ちを分かってくれる人はいないんだなと感じていました。
教室ではクラスメイトから「どうして転校してきたの?」と次々に聞かれ、最初に質問してくれた子には「親が離婚したんだ」と正直に答えたところ「ごめんね」と返され、気まずい雰囲気になってしまったので、これは話さないほうがいいことなんだと思いました。
その後は同じ質問をされても「親の仕事の都合で」と答えていました。誰にも相談できないと感じてしまったことは、孤独でとても辛かったです。
お金がない中、おばさんの家に住まわせてもらうことになったので、家ではおばさんの言うことが絶対で、私や妹が言うことは一切通らなかったんです。
父もおばさんに逆らえないので、「母を失っただけなく、父も遠くなったな…」というような、誰も分かってくれない孤独感がありました。
おばさんは、母が私に連絡を取れないようにしていたみたいです。
父とおばさんは母のことを嫌っていたので今思えばしょうがないなと思いますが、当時はやっぱりさみしかったです。
高校時代の担任の先生の存在は大きいかもしれないです。
もともと「学校の先生になりたい」という夢があったので、高校に進学した時から、先生になるために大学に行きたいと考えてました。
たまたま高校の担任の先生が、私と同じように父子家庭で育った人で、その先生が、私のことを気にかけてくれて、入学してから間もなく、毎日どれくらい勉強してとか、どんな生活をすればいいのかとか、大学に受かるための計画を一緒に立ててくれました。
たくさん勉強して、バイトもしないといけなかったので、スケジュール的には大変な計画でしたけど…。
体力的にはきつかったですが、この生活をすると夜も朝も家族が寝ているので、顔を合わせなくて済むので気持ちは逆に楽でした。
実際に親が離婚していて先生になっている、担任の先生というロールモデルがいましたし、計画通りに3年間やったら本当に大学に入れたんです。そのことが自分の中ですごく自信になりました。
それまでは、親が離婚したことで周囲からいろいろと言われることもありましたが、「自分の人生は親の人生とは別で、自分で切り開けるんだな」ということを感じました。
はい、高校2年生の時に父には内緒で、母に会いに行きました。
母だったら、今こんなに頑張っている自分を認めてくれるのではないかという期待と、最後にちゃんとバイバイできなかった母との関係をクリアにしたいという思いから会いに行きました。
夜行バスで会いに行ったら、母が新しい彼氏と一緒に迎えに来たんです…。正直ショックでした。
でも、「ちゃんとバイバイを言う」という目的は果たせたので、私の中でこの経験は大きかったと思います。まあ、親との再会としては最悪のパターンですが…。
大学に合格出来たことと、母に会ったことで、自分が引きずってきた親の離婚に対する感情は自分なりに消化できたかなと思います。
今は、両親が離婚しなかったら会えなかったと思う人もいるし、離婚してよかったとさえ思っています。
大学受験の成功などを経て、親の人生と自分の人生とは別だと思えるようになったと語ってくれた光本さん。
次回は、活動を通じて出会った離婚家庭の子どもたちの悩みをうかがいます。(つづく)
2018.05.01
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